死は、すぐ隣にある。

父の命日

次の日曜日、7月5日は父の命日です。
父が亡くなって、3年になります。

人は、「死」はずっと先にあるものだと思いがちです。
私も自分が死ぬなんて1ミリも考えたこと無かったです。
でも、父を見送ってから、その考えは大きく変わりました。

人は死ぬんだ…。当たり前ですが、身近な人の死を目の当たりにして初めて正確に意識しました。

死は遠い未来の出来事ではありません。
私たちのすぐ隣にあります。
だからこそ、「また今度」「時間ができたら」と思っていることは、本当は今日やるべきことなのかもしれません。

毎年、父の命日が近づくと、そんなことを考えます。

父の思い出

父は、決して強い人ではありませんでした。
自分の意見を押し通せる人ではなく、嫌なことを嫌と言えず、体も小さく腕力も無く、鬱病にも悩まされ、中々定職に就けず、人に利用されてしまうこともありました。今思うと変な占いグッズや、情報商材を買っていたような気がします。涙(当時は私も高校生だったのでよくわかってなかったですが、当時を思い返すとそんな気がします。)
家族の前では格好をつけようとしていましたが、お金にはずっと苦労していました。

私が社会人になってからは、「少し貸してくれ」と頼まれることもありました。
そして貸したお金は、結局返ってこないまま亡くなってしまいました。
しかも借金まで残して亡くなったので、亡くなってからも父にお金を貸したことになります。

当時は、そんな父をずっと情けないと思っていました。
二十歳を過ぎ、自分なりに世の中が分かったつもりになっていた私は、無職で、お金のない父に強く当たったことがありました。

「もっとしっかりしろよ、お母さんのこと大切にしてやれよ」
「どうしてそんな生き方しかできないんだ。なんでちゃんと仕事出来ないんだよ。」

そんな思いを偉そうにぶつけてしまいました。
何もわかってないくせに。

そんな弱い父でしたが、父はいつも私を応援してくれていました。

学生時代、大して上手でも無い私のバスケットボールの試合にはいつも応援に来てくれました。
お金がないはずなのに、私が望んだ2万円もするような高価なバスケットシューズを買ってくれました。
大学の入学祝いには、高価なバイクまで買ってくれました。

そして、私が税理士試験に合格したとき。
あれほど自分のことのように喜んでくれた人はいなかったと思います。
「お前は本当に誇らしい。よく頑張った!」と何度も褒めてくれました。28歳の時でしたが大人げなく、父の前で泣いてしまったことを覚えています。

あれから20年、私も親になった今なら分かります。

父は、器用な人ではありませんでした。
人生をうまく渡ることも、自分で道を切り開くことも得意ではありませんでした。
でも、自分が苦しくても、子どもにはできる限りのことをしてやりたい。
そんな父親だったのだと思います。42歳、4児の父になった今ならわかります。
あの頃の私は、それが見えていませんでした。

なぜもっと寄り添えなかったのか。
なぜもっと話を聞いてあげられなかったのか。

その後悔は、今でも消えることはありません。亡くなる直前に病室で謝罪はしましたが届いたかどうかは分かりません。

税理士という仕事をしていると、多くの人生に触れます。

決算書や相続、事業承継。
数字を扱う仕事ですが、その数字の向こうには、必ず誰かの人生があります。

家族への想い。
会社を守りたいという覚悟。
子どもたちへの願い。

数字だけでは見えないものが、そこにはあります。
だから私は、数字だけを見るのではなく、その数字の向こう側にある人生にも寄り添える人でありたいと思っています。

父の命日が近づくたびに毎年思います。
人生は、思っているより短い。
大切な人に会える時間も、決して当たり前ではないなと思います。

うちも長男があと数年すれば家を出ていくし、一番下のだって10年ちょっとで家を出ていく。

一緒に過ごせる時間を大切にしたい。
後悔を少しでも減らせるように生きていきたい。

税理士 古谷佑一

 

 

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